自転車少年。
梅雨の時期でもあり、天候の悪い日が続いている。なんとなく、心身ともにパッとしない。
先日、車で移動中に雨が降り出してきたので、ワイパーを動かし始めた。しばらく車を走らせていると、反対車線の道路沿いで、ヘルメットをかぶった少年が小さい自転車から降り、何か困っている様子だったので、「どうしたの?」って声をかけると、少年は半泣き状態で、「自転車が動かなくなったの・・・」と応えてくれた。車を停めて、少年の元へ駆け寄ってみると、少年の手は真っ黒に汚れて、少し血も出ていた。どうやら自転車のチェーンが外れ、それをはめるために苦労していたらしい。少年にはまだ、外れたチェーンをはめる知識も無く、とにかくタイヤが回わるように、自分なりに努力をしていたようだ。知恵をしぼり、手には擦り傷をつくり血を流し、でも自転車のチェーンは戻ってくれない。おまけに雨が降り始め、この先どうなるのか・・・。少年は、不安と寂しさで、涙をこらえていたのだろう。「すぐ直してあげるからね。ここの外れたチェーンをここに引っ掛けて・・・。」大粒の涙を流している少年に、「中々元に戻せなくて、大変だったね。ところで君は何年生なの?」「3年・・・。」こんな会話を交わしながら、少年は平静を取り戻していった。
通りは比較的、交通量の多い場所で、少年の背中越しには車が行き交い、しかも雨が降り出し、ドライバーからは視界も悪い。一歩間違えれば事故になりかねないと思うと、ゾッとした。私は少し、大人たちの非情さを感じた。なぜ、この少年に声もかけず、手助けをしようとしないのか。
自分の少年の頃は、近所の人たちが気さくに声をかけてくれた。「どこに行くの?」「おはよう」「こんにちは」「もう暗いから、家に帰りなさい」などと、何かと周囲が心配してくれた。ときにはおやつなども貰った。周囲の大人たちが、とにかく自分が親のように他人の子を叱り、いつでも目をひからせ、褒めたり、注意をしてくれた。結果、大人と子供のコミュニケーションがとれていたから、子供だけで暗くなるまで外で遊び、安心して親も外で遊ぶことを許してくれた。
ところが最近は、ニュース番組を見れば、誘拐や様々な哀しい子供の事件が報道され、安心して子供だけで遊べる環境にない。いつのまにか家の中で遊ぶ事を覚え、テレビゲームやパソコンなどに興味をもち、いつのまにか外で遊ぶ子供たちを見る事が少なくなってきているような気がして、何だか寂しささえ感じる。
さて、その後少年の自転車を直し終え、少年に、「ヨシッ!直ったぞ!」この言葉に少年はホッとしたにか、笑顔で「ありがとう」と、言ってくれた。自転車が直り、少年の笑顔も見られて、本当に嬉しかった。
相変わらず雨は降り続いている。少年に、「ちゃんと家に帰れるか?」と、問いかけると、「これ位の雨なんか大丈夫!」元気に応えてくれたので安心した。「じゃあ、気をつけて帰るんだぞ。バイバイ」そう言うと、少年は自転車のペダルを力強く踏み込み、雨の中を帰って行った。
昨今、人のとコミュニケーションをとりにくい時代になってきている。ちょっと声をかければ不審者に勘違いされたり、変な目で見られてしまう時代だが、反面、人はみんな寂しがり屋なのに、なぜ寂しいままの心でいるのだろうか。それぞれが寂しい心でいるのは間違いないのだから、もっともっと、いろいろな人と出会って、もっともっと会話が出来たら、犯罪や事件は、今よりは少なくなるような気がする。

