被災地を訪れて。パート3
ボランティアの作業は15時までと決められていて、それ以上は活動ができない。ボランティアリーダーの合図で、作業が終了となり、本部へ引き上げようと、道具などの片付けをしていた。そこに幼稚園バスが、降園で子供たちを乗せて僕らの前を通り過ぎて行こうとした時、バスの速度が遅くなった。
そして次の瞬間、園児たちが笑顔で僕らボランティアのいる方向にむかい、小さな手を大きく両手で振り、「ありがと~」と大きな声で叫んでくれた。この子供たちの精一杯の声が、たとえバスの窓が閉まっていても、ハッキリ僕らには聴こえた。
自分をはじめ、悲惨な現実を目の当たりにし、あまりのショックで言葉を失っていた人にとって、かわいい園児たちの「ありがとう」の声に、どれだけ癒されただろうか。
徒歩で15分ほど行くと本部がある。そこで作業終了の手続きを行い、スタッフの方々に、「必ずまたお手伝いに来ます。またお会いしましょう。」と挨拶を交わし、帰路についた。
帰りは帰りで、限られた道路事情の為、自衛隊の支援車やボランティアの方々が帰る車で渋滞。その渋滞の中、小学校に差し掛かり、ふと目をやると、自衛隊の方がたくさん校庭に穴を掘っている。その穴とは、災害で亡くなられた方の土葬の穴だ。
ニュースでこのような現実を聞いてはいたが、これもまた、つらい現実だ。
高速道路のインターに向かって車を走らせていると、沿道に人が点々と立っているのが目につく。みなさん、横長の板を持っていて、「ん?ヒッチハイクか?」と思いながら、ボードに大きく書いてある文字を読むと、それには「救済者のみなさん、気をつけてお帰り下さい。」、「ありがとうございました。」などと、書かれていた。しかも板を持っている方は、みなさん頭を下げている。周りを見渡せば、沿道のフェンスに横幕で、「救援者さんありがとう」、「私たちは、みなさんに助けられています。ありがとう。」
こういった地元の方のお心遣いと、新聞記事にも載っていた「震災から数日後、救済やボランティアの方々でいっぱいになっている睡眠所で、地元被災者の方々は、雪の降る寒い夜でも、支援者達を気遣い、自ら建物から出て行き、暖かい場所を明け渡していた。」この記事を読んだ時、東北の方々の優しい心と、本当の強さを感じた。
と、同時に「チリ地震の時も、大津波がきて町は壊滅しましたよ。またやり直ししましょ。」と笑顔でインタビューに応えていたお爺さんの言葉を思い出した。
何度でも何度でも、倒れても壊れても、またやり直せばいい。人の人生も同じ。失敗しても、可能な限り諦めないで挑戦する。
震災で家族を失い、家を失い、大切なものを失った人たちを、バスの中から声援をくれた園児たちと、親や家族を亡くし、哀しい思いをしている子供たちと、そして震災に見舞われた全ての人々の未来の為にも、地元の方たちには今の哀しみに負けず頑張って欲しいと思います。その為の復興のお手伝いは、日本中、世界中の人たちが、惜しむことなく支える事を忘れないでください。
全ては東北地方の復興と、皆さまの明るい未来を願って、お祈り申し上げます。

